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<title>ミシュラン三ツ星観光施設 MICHELIN Voyager Pratique Japon</title>
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<description>ミシュラン三ツ星観光施設をご紹介。ミシュランが日本の観光施設を三ツ星評価♪日本観光の参考にされてはいかかですか♪</description>
<language>ja</language>
<copyright>Copyright 2008</copyright>
<lastBuildDate>Thu, 21 Aug 2008 07:03:31 +0900</lastBuildDate>

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<title>道後温泉本館　-dogo onsen honkan-</title>
<description><![CDATA[<iframe src="http://www.panoramio.com/plugin.php?lt=33.852044960504124&ln=132.78642654418945&z=0&k=1" width="480px" height="480px"></iframe>
<br />
道後温泉本館（どうごおんせんほんかん）は、愛媛県松山市の道後温泉の中心にある温泉共同浴場。別名・愛称は坊っちゃん湯。明治時代に建築された歴史ある建物で、街のシンボル的存在である。共同浴場番付において、西の横綱に番付けされている。1994年に国の重要文化財（文化施設）として指定された。
<br />
<img src="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/44/Dogo-onsen_Honkan.jpg/300px-Dogo-onsen_Honkan.jpg" border="0">
<br />
・本館の歴史は事実上、伊佐庭如矢（いさにわゆきや）の英断に始まる。<br>
<br>
・1890年、如矢は道後湯之町の初代町長となった。この時の最大の懸案は、老朽化していた道後温泉の改築であった。 
・如矢は町長就任に際して、自らは無給とし、その給料分を温泉の改築費用に充てることとした。 
総工費は13万5千円。当時の小学校教員の初任給が8円といわれ、あまりに法外な予算に町民は驚き、町の財政が傾きかねない無謀な投資だと非難が渦巻いた。反対運動は激しさを増し、ついには如矢は命の危険を感じるほどであった。 
・しかし、如矢は貫き通した。棟梁は城大工の坂本又八郎を起用し、姿を現した木造三層楼は、当時でも大変珍しがられた。 
・如矢は道後への鉄道の引き込みも企図し、道後鉄道株式会社を設立。一番町?道後、道後?三津口間に軽便鉄道を走らせ、客を温泉へ運んだ。関西からの航路が開かれるなど、道後温泉が発展していった時期であった。 
・本館造営といい、線路の引き込みといい、今日の道後温泉の繁栄の基礎を築いており、まさに百年先を見据えた計ともいえる。 
・今は如矢は道後の温泉街を見下ろす鷺谷墓地（さぎたに-）に静かに眠っている。 
・2002年度から、「道後温泉本館保存修復計画検討委員会」を設置し、本館修復方法等の検討をしているが、修復工事には11年を要する見込みであるが、着手時期については2006年現在、未定。 
百年以上もの間公衆浴場として使われてきたことは驚異であるが、長年使っているため、基礎部分の大規模修復が必要となっていることが、芸予地震後の調査で明らかになった。他に替えがたい道後温泉のシンボル施設であるため、たとえ長期的な観点から大規模改修が必要とはいえ改修期間中は浴場としては使用できず、大修復になること、また期間も長期化することが予想され、その間は共同浴場として使用できないことから、観光関係者では修復期間中に観光客の足が遠のくことを懸念している（その後、修復期間中は全面的に浴室として利用を中止するのではなく、一部を利用しながら順次修復していくことに落ち着いた）。 
・2007年3月　美しい日本の歴史的風土100選に松山城と共に選定された。
<br />
<img src="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/8/88/Dogo4.jpg/300px-Dogo4.jpg" border="0">
<br />
・文豪・夏目漱石が松山中学（現・愛媛県立松山東高等学校）の英語教師として赴任したのは、本館の完成した翌年のこと。 
・漱石はその建築に感嘆し、手紙や、後の彼の作品『坊つちやん』の中で「温泉だけは立派だ」と絶賛している。実際に、頻繁に通ったという。手紙によれば、八銭の入浴料で「湯に入れば頭まで石鹸で洗って」もらうことができ、また3階に上れば「茶を飲み、菓子を食」うことができたようである。小説には「住田」の温泉として登場する。あまりにもこの印象が強いため、本館は｢坊っちゃん湯｣とも呼ばれる。 
・一階の男性湯浴室内には｢坊っちゃん泳ぐべからず｣の札が今も掲げられている（もちろん復元） 
・本館内には、夏目漱石ゆかりの「坊っちゃんの間」があり、一般見学可能。
<br />
出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』]]></description>
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<pubDate>Thu, 21 Aug 2008 07:03:31 +0900</pubDate>
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<title>ミシュランが選ぶ日本の三ツ星観光施設マップ</title>
<description><![CDATA[<div align="center">↓↓マークをクリックすると詳細ページへ移動できます。↓↓
<br />
<iframe width="450" height="500" frameborder="0" scrolling="no" marginheight="0" marginwidth="0" src="http://maps.google.com/maps/ms?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;ie=UTF8&amp;msa=0&amp;msid=109171906900866415489.00043a50433dca179d3cd&amp;t=h&amp;om=1&amp;s=AARTsJp8lCwT-lcPD03fb_pufDUay5c83g&amp;ll=37.68382,137.373047&amp;spn=17.361751,19.775391&amp;z=5&amp;output=embed"></iframe><br /><small><a href="http://maps.google.com/maps/ms?f=q&amp;hl=ja&amp;geocode=&amp;ie=UTF8&amp;msa=0&amp;msid=109171906900866415489.00043a50433dca179d3cd&amp;t=h&amp;om=1&amp;ll=37.68382,137.373047&amp;spn=17.361751,19.775391&amp;z=5&amp;source=embed" style="color:#0000FF;text-align:left">拡大地図を表示</a></small></div>]]></description>
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<pubDate>Wed, 12 Dec 2007 21:14:52 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>後楽園 -kourakuen-</title>
<description><![CDATA[<iframe src="http://www.panoramio.com/plugin.php?lt=34.66731137196374&ln=133.9357316493988&z=0&k=1" width="480px" height="480px"></iframe>
<br />
後楽園（こうらくえん）は岡山市にある大名庭園で日本三名園のひとつである。総面積は133,000m?。
<br />
<img src="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/56/Korakuen_21.JPG/240px-Korakuen_21.JPG" border="0">
<br />
岡山藩主池田綱政が岡山郡代官・津田永忠に命じて作らせた。貞享4年（1687年）に着工し14年の歳月をかけ元禄13年（1700年）に完成した。 岡山市内を流れる旭川をはさみ、岡山城の対岸の中州に位置する。藩主が賓客をもてなした建物・延養亭（えんようてい）を中心とした林泉回遊式の庭園で岡山城や周辺の山を借景としている。 江戸時代は延養亭を茶屋屋敷、園を後園と呼んでいた。明治4年（1871年）、これを後楽園と改めた。
<br />
<img src="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/81/Korakuen_19.JPG/240px-Korakuen_19.JPG" border="0">
<br />
・明治17年（1884年）、岡山県所有となり一般に公開 <br>
・昭和20年（1945年）太平洋戦争時、岡山市が空襲を受けた際に岡山城天守とともに園内の建物も焼失した。 <br>
・昭和27年（1952年）文化財保護法により国の特別名勝に指定される。 <br>
・昭和31年（1956年）かつて岡山に遊学した中国の政治家・郭沫若より2羽の丹頂鶴を贈られた。現在も鶴の飼育が続けられ、元日には園内に放つイベントが催されている。 <br>
・昭和35年（1960年）延養亭が再建 <br>
・昭和42年（1967年）園内の全ての建物を復元。<br>

<br />
出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』]]></description>
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<pubDate>Wed, 12 Dec 2007 20:31:29 +0900</pubDate>
</item>
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<title>ミシュランガイドで初の東京版が発売</title>
<description><![CDATA[<div align="center">１１月２２日に発売された
<br />
「ミシュランガイド東京版」<br>
<a href="http://hb.afl.rakuten.co.jp/hgc/05ffe7d0.a6ead1f5.05ffe7d1.bdecfafa/?pc=http%3a%2f%2fitem.rakuten.co.jp%2fbook%2f4521982%2f&m=http%3a%2f%2fm.rakuten.co.jp%2fbook%2fi%2f12129524%2f" target="_blank"><img src="http://hbb.afl.rakuten.co.jp/hgb/?pc=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f9307%2f93077431.jpg%3f_ex%3d128x128&m=http%3a%2f%2fthumbnail.image.rakuten.co.jp%2f%400_mall%2fbook%2fcabinet%2f9307%2f93077431.jpg%3f_ex%3d80x80" border="0"></a>
</div><br />
三ツ星は８店。一つ星以上を獲得した店が１５０店とパリやニューヨークを抜いたとして注目されている。
<br />
だたし、その評価については賛否両論あり、今後の展開に注目していきたいですね。]]></description>
<link>http://xn--xck0a5ezau4d8871aoj1b.xn--zckuap6f.biz/2007/11/post_3.html</link>
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<pubDate>Fri, 23 Nov 2007 13:52:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>京都国立博物館</title>
<description><![CDATA[<iframe src="http://www.panoramio.com/plugin.php?lt=34.99068137558321&ln=135.77279806137085&z=1&k=1" width="480px" height="480px"></iframe> 
<br />
京都国立博物館（きょうとこくりつはくぶつかん）は、独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館。1897年（明治30年）5月に開館した。
<br />
<img  src="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/d/de/Kyoto_national_museum05_1024.jpg/300px-Kyoto_national_museum05_1024.jpg"  />
<br />
展示館は宮内省内匠寮技師片山東熊（かたやまとうくま）設計の本館（特別展示館）と京都大学名誉教授森田慶一設計の新館（平常展示館）がある。 所蔵品には国宝27件、重要文化財181件（2006年3月現在）が含まれる。また建物自体も、本館、表門（正門）、同札売場及び袖塀が1969年（昭和44年）、「旧帝国京都博物館」として国の重要文化財に指定されている。
]]></description>
<link>http://xn--xck0a5ezau4d8871aoj1b.xn--zckuap6f.biz/2007/11/post_2.html</link>
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<pubDate>Fri, 23 Nov 2007 01:59:56 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>伊勢神宮</title>
<description><![CDATA[<iframe src="http://www.panoramio.com/plugin.php?lt=34.454916757976015&ln=136.72578692436218&z=1&k=1" width="480px" height="480px"></iframe>
<br />
伊勢神宮（いせじんぐう）は三重県伊勢市にある神宮の俗称。神社本庁の本宗（ほんそう）とされ、正式名称は神宮。ほかの神宮と区別する場合には伊勢の神宮と呼ぶ。神道の神社では別格とされ、格付けはされない。
<br />
建物は皇大神宮（こうたいじんぐう）と豊受大神宮（とようけだいじんぐう）からなる。通常は皇大神宮を内宮（ないくう）と呼び、豊受大神宮を外宮（げくう）と呼ぶ。内宮は皇祖天照大神（あまてらすおおみかみ・てんしょうだいじん）、外宮は豊受大御神（とようけのおおみかみ）を祀る。近世江戸時代を除いて、古代から政治的権威と結びつくことが多かった。
<br />
<img src="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1b/IseShrine.jpg/180px-IseShrine.jpg" border="0">
<br />
皇祖を祀る神殿を「神宮」と称することは中国の『詩経』の「閟宮」（ひきゅう）の神楽歌への鄭玄(127-200年)の注釈に見える。そこでは周王朝の遠祖の「姜嫄」（きょうげん）という女神の「依（よ）る所、故に廟を神宮と曰（い）う」と述べられている。
<br />
広くは、別宮（べつぐう）、摂社（せっしゃ）、末社（まっしゃ）、所管社（しょかんしゃ）を含めた一連の社宮を神宮と総称する。この場合、所在地は伊勢市にとどまらずまたがる。
<br />
社務所に当たる組織は神宮司庁と呼び、三重県伊勢市宇治館町に置かれている。かつて、神宮皇學館（現在の皇學館大学）は、神宮管轄だった。
<br />
出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』]]></description>
<link>http://xn--xck0a5ezau4d8871aoj1b.xn--zckuap6f.biz/2007/10/post_1.html</link>
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<pubDate>Wed, 17 Oct 2007 16:47:28 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>九州国立博物館  -Kyushu National Museum-</title>
<description><![CDATA[<iframe src="http://www.panoramio.com/plugin.php?lt=33.518221951143545&ln=130.5384349822998&z=1&k=1" width="480px" height="480px"></iframe>  
<br>
九州国立博物館（きゅうしゅうこくりつはくぶつかん）は、福岡県太宰府市にある歴史系の博物館。独立行政法人国立文化財機構が運営する博物館の1つで、2005年10月16日に開館。太宰府天満宮裏で、同宮所有の丘陵地に建設された。
<br />
<img src="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/8/81/Kyuhaku-approach_1.jpg/300px-Kyuhaku-approach_1.jpg" border="0">
<br />
100年以上の歴史を誇る東京・京都・奈良の3つの国立博物館が美術系博物館であるのに対して、九州国立博物館は歴史系博物館として設立された。九州が日本におけるアジア文化との交流の重要な窓口であった歴史的かつ地理的背景を踏まえ「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える博物館」を基本理念に、旧石器時代から近世末期（開国）までの日本の文化の形成について展示している。 また、アジア地方各地との文化交流を推進する拠点としての役割も持って建設された。
<br />
岡倉天心が九州にも国立級の美術館・博物館が必要であると説いてから100年。太宰府天満宮をはじめ関係各所の熱意により念願は結実し、現在では年間100万人以上の来場がある施設となっている。
<br />
日本において「国立博物館」を称する博物館としては1897年設立の京都国立博物館以来、108年ぶりに新設された。日本の国立博物館の中で最大の大きさを持つ博物館であり、開館当時はこのことが話題となった。
<br />
-----指定文化財-----
<br />
以下の国宝・重要文化財指定品の大部分は、東京および京都の国立博物館から移管されたものである。九州ゆかりの文化財はほとんどなく、移管が期待される。
<br />
---国宝　3件---
<br /> 
周茂叔愛蓮図 狩野正信筆 
栄花物語 17帖 
太刀（銘　来国光） 
<br />
---重要文化財---
<br /> 
絹本着色浄土曼荼羅図（大津市・円満院伝来） 
布袋図 簡翁居敬賛 - 中国・南宋時代 
山水図 2幅 狩野正信筆 
陸奥奇勝図 池大雅筆 
芦屋楓流水鶏図釜 
孔雀文鎗金（そうきん）経箱 - 中国・元時代、1315年 
唐詩残篇 
古今和歌集巻第二・第四断簡（亀山切） 
大燈国師墨蹟 
宋版圜悟心要（えんごしんよう） 
三尊仏龕（ぶつがん） - 中国・唐時代（長安・宝慶寺伝来） 
三尊仏龕 - 中国・唐時代（長安・宝慶寺伝来） 
銅造弥勒仏立像 - 中国・北魏時代、太平真君4年（443年） 
木造阿弥陀如来立像（京都府亀岡市・元明院伝来） 
木造観音菩薩立像（京都市・清和院伝来） 
木造観音菩薩立像 
緑釉四足壷 - 猿投窯、平安時代 
色絵藤棚文大皿 - 鍋島 
油滴天目茶碗 - 中国・南宋時代 
対馬宗家関連資料 一括 
多宝千仏石幢（せきとう） - 中国・遼時代（京都国立博物館より移管） 
小早川家文書（三百六通）31巻 
金錯銘直刀身 
絹本著色一遍上人画像 


出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』]]></description>
<link>http://xn--xck0a5ezau4d8871aoj1b.xn--zckuap6f.biz/2007/09/_kyushu_national_museum.html</link>
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<pubDate>Sun, 23 Sep 2007 14:34:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>姫路城  himeji-jyo</title>
<description><![CDATA[<iframe src="http://www.panoramio.com/plugin.php?lt=34.83943206415476&ln=134.6937346458435&z=0&k=1" width="480px" height="480px"></iframe> 
<br>
姫路城（ひめじじょう）は、兵庫県姫路市（播磨国飾東郡姫路）にある城。国の特別史跡。白漆喰の城壁の美しさから白鷺城（はくろじょう（しらさぎじょうは誤って広まった呼び方））とも呼ばれる、日本における近世城郭の代表的な遺構である。
<br>
<br>
--------概要--------
<br>
築城以来廃城や戦火の危機を免れてきた事から天守をはじめ多くの建造物が現存し、うち大天守、小天守、渡櫓等8棟が国宝、74棟の各種建造物（櫓・渡櫓27棟、門15棟、塀32棟）が重要文化財に指定されている。また1993年、ユネスコの世界遺産（文化遺産）に登録されている。
<br>
四大国宝城（姫路城・松本城・彦根城・犬山城）の一つに数えられ、築城以来の姿をよく残している事もあって時に「天下の名城」あるいは「日本一の名城」とも言われる。
<br>
白壁の美しい城であり、時代劇を始めとして映画などのロケが行われる事も多い。しばしば江戸城など他の城の代わりとして撮影されている。
<br>
なお、姫路城の所在地「姫路市本町68番地」は、日本の番地では皇居の位置する「千代田区千代田1番地」に次ぐ面積を誇る。近代には陸軍歩兵第十連隊が駐屯していた。
<br>
<br>
--------築城者--------
<br>
姫路市街北部の姫山に最初に築城したのは、南北朝時代の正平元年/貞和2年（1346年)、赤松則村（円心）の子・赤松貞範であるという説が有力である。ただし、赤松氏時代は砦と呼ぶべき小規模なもので、「城」と呼べる規模の構築物としては、16世紀に播州平野に割拠した小寺氏の被官である黒田重隆が築城したのが最初であるという異説もある。
<br>
その後、天正8年（1580年）織田信長の重臣であった羽柴秀吉（後の豊臣秀吉）が播磨統治の中心拠点として姫路城を選定し、近世城郭にふさわしい体裁を整えた。
<br>
<img src="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/4/43/Himeji_castle01_1024.jpg/230px-Himeji_castle01_1024.jpg" border="0">
<br>
ただし現在残る城郭と遺構は秀吉時代のものではなく、徳川家康の娘婿で「西国将軍」の異名を取った池田輝政が慶長5年（1601年)から8年掛かりで築造したものである。普請奉行は池田家家老伊木長門守忠繁、大工棟梁は桜井源兵衛である。作業には在地の領民が駆り出され、築城に携わった人員は延べ4千万人?5千万人であろうと推定されている[要出典]。

<br>
出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』]]></description>
<link>http://xn--xck0a5ezau4d8871aoj1b.xn--zckuap6f.biz/2007/09/post.html</link>
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<pubDate>Mon, 17 Sep 2007 16:52:05 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ミホミュージアム　MIHO MUSEUM</title>
<description><![CDATA[<iframe src="http://www.panoramio.com/plugin.php?lt=34.91484082239727&ln=136.01685225963592&z=0&k=1" width="480px" height="480px"></iframe> 
<br />
MIHO MUSEUM (みほ・みゅーじあむ) は、滋賀県甲賀市信楽町にある私立美術館である。
<br />
MIHO MUSEUMは、神慈秀明会の会主・小山美秀子（みほこ）のコレクションを展示するため、1997年（平成9年）11月に開館した。
コレクションには、ギリシア、ローマ、エジプト、中近東、ガンダーラ、中国、日本など、幅広い地域と時代に渡る優品2000点以上が含まれている。
コレクション形成に数百億円をかけたともいわれ、日本にある私立美術館のコレクションとしては有数のものである。
<br />
信楽町郊外の山中にある美術館は、「桃源郷」をイメージして造られたというだけあり、恵まれた自然環境のなかにある。
レセプション棟から桜並木を通ってトンネルをくぐり、その先の吊り橋の向こうに展示館がある。
利用者の移動の便のために電気自動車がレセプション棟と展示館の間を往復している。
<br />
<img src="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/c/cd/Interior-of-miho-museum.jpg/200px-Interior-of-miho-museum.jpg" border="0">
建物は、ルーヴル美術館の「ガラスのピラミッド」、ワシントンのナショナル・ギャラリー東館で有名な建築家、イオ・ミン・ペイの設計である。建築容積の8割が地下に埋没しているというこの建物は、周囲の自然景観保全に配慮したものである。 展示品の一部が「盗品」との疑惑がある。

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<link>http://xn--xck0a5ezau4d8871aoj1b.xn--zckuap6f.biz/2007/09/miho_museum.html</link>
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<pubDate>Thu, 13 Sep 2007 17:15:27 +0900</pubDate>
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<item>
<title>兼六園-Kenroku-en-</title>
<description><![CDATA[<iframe src="http://www.panoramio.com/plugin.php?lt=36.562082987409106&ln=136.66249752044678&z=2&k=1" width="480px" height="480px"></iframe>
兼六園（けんろくえん）は、石川県金沢市にある日本庭園。広さ約3万坪、江戸時代を代表する池泉回遊式庭園としてその特徴をよく残している。国の特別名勝に指定されている。岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで、日本三名園の一つに数えられる。

金沢市の中心部に位置し、旧百間堀を道路とした百間堀通り（百万石通り）を橋で渡ったところの石川門から、金沢城を復元中の金沢城公園へと続いている。

<br>
-------庭園の歴史-------

-----江戸時代-----
江戸時代、加賀藩の庭園として造られたことに端を発する。延宝4年（1676年）に五代藩主前田綱紀が「蓮池亭（れんちてい）」を造り、その庭を「蓮池庭（れんちてい）」と呼んだのが始まりとされている。これは、蓮池門（れんちもん）を入った辺りであり、現在7つある門の中で、正門とされている。当時は、金沢城の外郭として城に属していた。

13代藩主前田斉泰は天保8年（1837年）霞ヶ池を堀り広げて増庭させ、現在のものにほぼ近い形にしたとされる。「兼六園」の名称が定められたのもこの頃である。

名称は宋代の詩人・李格非の『洛陽名園記』に由来する。「宏大・幽邃・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える名園」との意味で、当時の老中松平定信が命名したとされている。とくに、小立野台地の先端部に位置していることから、園内に自然の高低差がある。これによって、園路を登りつめていく際の幽邃な雰囲気と、高台にある霞ヶ池周辺の宏大さ、眼下の城下町の眺望を両立させているといえる。平地の日本庭園では、人工的な築山でしか高低差を表現できないことであり、この点では特筆に値する。

また、春夏秋冬それぞれに趣が深く、季節ごとに様々な表情を見せるが、特に雪に備えて行われる雪吊は冬の風物詩として情緒を添える。霞ヶ池を渡る石橋を琴に見立てて徽軫（ことじ）をなぞらえた徽軫灯籠（ことじとうろう）は、兼六園を代表する景観となっている。

また、園内の噴水は、日本に現存する最も古い噴水であるといわれる。これより高い位置にある園内の水源、霞ヶ池から石管で水を引き、水位の高低差だけを利用して、水を噴き上げさせている。そのため、水が噴き上がる最高点は、ちょうど霞が池の水面の高さに相当する。ポンプなどの動力は一切用いておらず、位置エネルギーのみを利用したものである。

園の東南側には、13代藩主前田斉泰が母親である眞龍院の隠居所として建てられた成巽閣が現存する。なお、金沢の地名は園内にある湧き水「金城霊沢」（きんじょうれいたく）を由来としている。

<br>
-----明治以降-----
長らく殿様の私庭として非公開であったが、1871年から日時を限っての公開が始まり、1874年5月7日から正式に一般公開された。1876年には兼六園観光案内組合が組織され、積極的な観光利用の歴史が始まった。

同年、園内の山崎山麓にあった異人館と成巽閣を利用して、常設としては国内初の博物館である金沢勧業博物館が開かれた。同館は1909年に廃止されるが、その間1879年に図書館が、1887年に金沢工業学校（後の石川県立工業高等学校）が附属されるなど、大規模なものに拡張された。また、1880年には西南戦争の戦没者を祀る明治記念之標が建てられた。

こうして明治以降に構造物が付加されたことが、1922年名勝に指定されたものの、特別名勝に指定されない一因となっていたが、その後の上記施設の移転などの整理と整備により、1985年特別名勝に指定された。

開園以来、無料で24時間開放されていたが、深夜何者かによって徽軫灯籠が破壊されるなどの事態が発生した（当時のものは別のところに保管されている。現在の灯篭は新造された物）ことや維持、保存費用の捻出の為に1976年から後楽園や栗林公園に倣って有料とし、時間を限って公開されるようになった。

<br>
-----兼六園広坂休憩所-----
兼六園広坂休憩所（けんろくえんひろさかきゅうけいじょ）は、資料展示室、談話室等からなる兼六園に隣接する休憩施設。資料展示室には、兼六園や金沢城に関する史料が展示されている。もともとは、大正11年（1922年）に陸軍第9師団長の官舎として建てられた木造2階建の洋館。戦後は家庭裁判所、児童会館、野鳥園などに使用され、平成元年（1989年）から現在の用途で使用されている。]]></description>
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<pubDate>Tue, 10 Jul 2007 16:33:57 +0900</pubDate>
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<title>明治神宮-Meiji Shrine-</title>
<description><![CDATA[<iframe src="http://www.panoramio.com/plugin.php?lt=35.6763675863764&ln=139.6993589401245&z=1&k=1" width="480px" height="480px"></iframe> 
明治神宮（めいじじんぐう）（正式な表記は「宮」中の「呂」の「口」間の線が入らない）は、東京都渋谷区にある神社。初詣では例年日本一の参拝者数を集める。

明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする。

-------由緒--------
明治45年（1912年）に明治天皇が崩御し、続いて大正3年（1914年）に皇后であった昭憲皇太后が亡くなると、その遺徳を偲ぶ国民から夫妻を祭る神社を求める機運が高まった。これを受けて政府は神社奉祀調査会を設置して審議し、大正天皇の裁可を受けて大正4年（1915年）5月1日、官幣大社明治神宮を創建することが内務省告示で発表された。明治天皇が「うつせみの代々木の里はしづかにて都のほかのここちこそすれ」と詠んだ代々木の南豊島世伝御料地を境内地として造営が行われた。大正9年（1920年）11月1日に鎮座祭が行われた。代々幡町（現在の渋谷区）の代々木に鎮座するまでには、さまざまな自治体が名乗りをあげ、埼玉県飯能町（現在の飯能市）の朝日山に明治神宮を鎮座し、明治天皇が登られた「天覧山」一帯を神宮の外苑にしようとの計画があった事もいわれていた。

昭和18年（1943年）に外苑にて出陣学徒壮行会が開催され雨のなか、約7万の入隊学徒が行進した。昭和20年（1945年）の空襲の際に社殿のほとんどが消失したが、昭和33年（1958年）に再建され、近年の初詣では、大晦日から正月三ヶ日の間で300万人前後にものぼる日本一の参拝者を集めている。そのため、警察庁警備局主導の集中警備本部が設置され多くの警察官が警備にあたる。

第二次世界大戦後は宗教法人神社本庁の被包括宗教法人となり別表神社に指定されていたが、平成16年（2004年）に神社本庁との包括関係を解消し、単立神社となった。]]></description>
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<pubDate>Thu, 05 Jul 2007 16:10:12 +0900</pubDate>
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<title>高尾山-Mount Takao-</title>
<description><![CDATA[<iframe src="http://www.panoramio.com/plugin.php?lt=35.62702378786783&ln=139.2475461959839&z=2&k=1" width="480px" height="480px"></iframe>
高尾山（たかおさん）は東京都八王子市にある標高599mの山である
関東山地の東縁に位置する山のひとつ。明治の森高尾国定公園に指定されており、大阪の明治の森箕面国定公園との間に整備されている東海自然歩道の起点でもある。中腹には薬王院、山頂には展望台や高尾ビジターセンターがある。

暖地系の照葉樹林帯（カシなどの常緑広葉樹）と寒地系のブナ・イヌブナ・針葉樹林帯の境界に位置するため植生が豊かであり、しかも都市部に近い割には比較的よく保たれている。首都圏中央連絡自動車道のトンネルおよび南麓にインターチェンジ、北麓に中央自動車道とのジャンクション建設が進んでおり、自然環境への配慮が望まれる。 高尾山は、東京近郊の行楽地として有名であるが、元来は修験道の霊場であり、現在は真言宗智山派大本山高尾山薬王院有喜寺の寺域となっている。そのため、天然の森林が守られてきた。中世には、八王子城主北条氏照による「本山の竹木の伐採を禁じる」という制札が薬王院に残されており、江戸時代にも幕府直轄領となり八王子代官・大久保長安が山林保護政策をとり、その書状が同じく薬王院に残されている。その後も帝室御料林、国有林と常に保護されてきた。

東京都心部に近いため、明治以降、牧野富太郎をはじめ、多くの研究者により高尾山が最初の発見地として新しい植物が発表された。]]></description>
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<pubDate>Wed, 04 Jul 2007 14:54:27 +0900</pubDate>
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<title>東慶寺-Tōkei-ji-</title>
<description><![CDATA[<iframe src="http://www.panoramio.com/plugin.php?lt=35.33512690759174&ln=139.54567909240723&z=1&k=1" width="480px" height="480px"></iframe> 
東慶寺（とうけいじ）は、神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗円覚寺派の寺院である。山号は松岡山、寺号は詳しくは東慶総持禅寺と称する。本尊は釈迦如来、開基（創立者）は北条貞時、開山（初代住職）は覚山尼（かくさんに）である。

所在地 : 神奈川県鎌倉市山ノ内1367 
位置 : 北緯35度20分6.88秒
          東経139度32分44.27秒 
山号 : 松岡山 
宗派 : 臨済宗円覚寺派 
本尊 : 釈迦如来 
創建年 : 弘安8年（1285年） 
開基 : 北条貞時、覚山尼（開山） 
正式名 : 松岡山 東慶総持禅寺 
別称 : 縁切寺、駆け込み寺 

---------歴史----------
鎌倉幕府第9代執権北条貞時が、父北条時宗死去の翌弘安8年（1285年）、覚山尼を開山として建立した寺である。覚山尼は、北条時宗の夫人であり、貞時の母にあたる人物で、時宗の死後、出家して尼となった。なお、当初は真言宗の寺であったものを覚山尼が臨済宗に改宗したとの別伝もある。

東慶寺は現在は男僧の寺であるが、明治36年（1903年）までは代々尼寺であり、尼五山の第二位の寺であった。後醍醐天皇の皇女用堂尼が5世住持として入寺してから当寺は地名をとって「松ヶ岡御所」と称せられ、格式の高さを誇った。江戸時代には、豊臣秀頼の娘で、徳川家康の養外孫にあたる天秀尼が20世住持として入寺している。

東慶寺は、近世を通じて「縁切寺」「駆け込み寺」として知られていた。江戸時代、離婚請求権は夫の側にしか認められていなかったが、夫と縁を切りたい女性は、当寺で3年（のち2年）の間修行をすれば離婚が認められるという「縁切寺法」という制度があった。幕府公認の縁切寺として、江戸から多くの女性が東慶寺を目指した。ただし、女性が駆け込んできてもすぐには寺に入れず、まずは夫婦両者の言い分を聞いて、夫が離縁状（いわゆる「三下り半」）を書くことに同意すれば、すぐに離婚が成立したという。また、実際には離婚に至らず、調停の結果、復縁するケースも多かったという。この制度は、女性からの離婚請求権が認められるようになる明治6年（1872年）まで続いた。

近代になって、中興の祖とされる釈宗演（1859年?1919年）が寺観を復興した。釈宗演の弟子にあたる鈴木大拙（1870年?1966年）は禅を世界的に広めた功労者として著名で、寺に隣接して鈴木の収集した仏教書を収めた松ヶ岡文庫もある。

当寺は文化人の墓が多いことでも有名で、墓地には鈴木大拙のほか、西田幾多郎、岩波茂雄、和辻哲郎、安倍能成、小林秀雄、高木惣吉、田村俊子らの墓がある。]]></description>
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<pubDate>Tue, 03 Jul 2007 19:06:51 +0900</pubDate>
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<title>東京都庁舎-Tokyo Metropolitan Government Building-</title>
<description><![CDATA[<iframe src="http://www.panoramio.com/plugin.php?lt=35.689488&ln=139.69171&z=1&k=1" width="480px" height="480px"></iframe>
東京都庁舎（とうきょうとちょうしゃ）とは、東京都の新宿副都心にある、東京都庁の本庁舎をいう。東京都新都庁舎、東京都本庁舎ともいう。

<img src="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b8/TokyoTocho_Office_Building.jpg/240px-TokyoTocho_Office_Building.jpg" border="0">

所在地 東京都新宿区西新宿2丁目8番1号 
建築期間 着工:1988年4月
竣工:1990年12月 
高さ 高さ:243.4m（軒高：241.9m）
階数:地上48階、地下3階 
面積 建築面積:11,042m?
敷地面積：14,350m?
延床面積:195,567m? 

-------概要-------
1990年12月完成。1991年に丸の内の旧庁舎から移転し、都庁としての業務をスタートした。第一本庁舎、第二本庁舎、都議会議事堂の3棟からなり、東京都の行政の中枢機能を担っている。設計者は丹下健三で、建築設計競技により選ばれた。

旧淀橋浄水場跡地の再開発により誕生した新宿西口の超高層ビル街区の中央から西南側に位置し、都庁舎は1、4、5号地の3ブロックを占めている。1号地には第二本庁舎、4号地には第一本庁舎、5号地には都議会議事堂と都民広場がある。また、第一本庁舎と第二本庁舎は、西側の新宿中央公園に面している。

---第一本庁舎・施設---
第一本庁舎は高さ243mで、完工時にサンシャイン60を抜き、日本一の高さを誇った。その後、日本一の座を横浜ランドマークタワー（1993年年完工、296m）に、東京一の座を六本木のミッドタウン・タワー（2007年完工、248m）に譲った。 着工から完工当時の東京都知事は鈴木俊一。バブル経済の最中に計画された当時日本一の超高層ビルであり、「バベルの塔」をもじって「バブルの塔」と揶揄されることもある。年間40億円もの維持管理費用を要することや豪華な知事室などから「税金のムダ使い」との批判もあるが、反面、東京の観光名所の一つとして展望室に訪れる人が絶えない。夜間はライトアップされる。

展望室は、第一本庁舎45階南北にそれぞれ位置し、1階から直通エレベータで55秒で到着する。利用料は無料。年末年始以外は年中無休、朝は9時半から夜は23時までオープンしており、夜景も楽しむ事ができる。バーや喫茶店や土産店も併設されている。この建物は地上48階まであるが43・44・46?48階は機械室となっており一般利用者の立ち入りはできない(ただし44階のトイレは利用可能)。

第一本庁舎32階には外部委託業者（東京ケータリング、西洋フードシステムズ）2社による職員食堂や売店などがあり、来庁者は誰でもセルフ方式で利用できる。ただし施設の性質上、営業は平日のみである。眺めがよく、値段も手ごろなので人気度は高い。たとえ１階にいなくても自分のいる階からエレベータで16・25階に上がれば32階へのエレベータに乗り継げるのでこの点は便利と言える（地下駐車場は専用エレベータを使う必要がある。また45階展望台へは１階へ戻り、展望台専用エレベータに乗り換えなければならない）

竣工当時、第一本庁舎に、指定金融機関である旧富士銀行が本店東京都庁出張所（5F）、第二本庁舎には、富士銀行本店東京都庁第二本庁舎出張所、旧第一勧業銀行本店第二本庁舎出張所、旧三菱銀行本店東京都庁第二本庁舎出張所（いずれも5F）が設置されていたが、現在は、

みずほ銀行東京中央支店東京都庁出張所（第一本庁舎） 
みずほ銀行本店東京都庁公営企業出張所（第二本庁舎） 
三菱東京UFJ銀行本店東京都庁第二本庁舎出張所（第二本庁舎） 
に集約されている。その他、第一本庁舎内に東京都庁郵便局、新銀行東京（第一本庁舎1F）をはじめとした他の金融機関のATMなどが設置されている。


---デザイン・構造---
丹下健三の後期の代表作のひとつで、デザインとしてはポストモダンに属する。第一本庁舎は、一般にパリのノートルダム大聖堂の形態を引用しているといわれる。デザインについては批判もあるが、特徴のある形態のため、ランドマークとしての機能を果たしている。また、第二本庁舎は、同じ丹下の設計した新宿パークタワーと意匠的な共通点がみられる。

構造的にはスーパーストラクチャー方式を採用しており、第一本庁舎、第二本庁舎とも、1棟につき8本のスーパー柱と10階ごとのスーパー梁で建物全体を支えている。スーパーストラクチャー方式は、同じ丹下の設計によるフジテレビジョン本社等でも用いられている。

第一・第二本庁舎と都議会議事堂の三棟で構成されている建物の年間維持管理費は約40億円。 
三棟合わせた建築費用は1569億円。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』]]></description>
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<pubDate>Fri, 29 Jun 2007 17:52:10 +0900</pubDate>
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<item>
<title>ガラス棟【東京国際フォーラム】-Tokyo International Forum-</title>
<description><![CDATA[<iframe src="http://www.panoramio.com/plugin.php?lt=35.676446023971266&ln=139.7642683982849&z=1&k=1" width="480px" height="480px"></iframe>
東京国際フォーラム（とうきょうこくさいフォーラム）は、株式会社東京国際フォーラム（完成当時は財団法人東京国際交流財団）が運営する、公的総合文化施設。首都たる東京の国際会議場の一つにもなっている。

東京都庁舎の新宿副都心移転跡地に建設された。最寄り駅は有楽町駅、東京駅（京葉線）。7つのホール、展示ホール、33の会議室、店、レストラン、相田みつを美術館、太田道灌の像などを備えており、様々なイベントや展示が開催される。
<img src="http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/b/b4/Digital-Tokyo_International_Forum.jpg/250px-Digital-Tokyo_International_Forum.jpg" border="0">

-------建築-------
UIA（国際建築家連合）の基準に基づく国際公開コンペが行われ（国内初）、設計者は建築家ラファエル・ヴィニオリに決まった。ガラスの吹き抜けホール（ガラス棟）は船を題材にしており、その巨大な外観が象徴となっている一方、新都庁舎と同様に、「バブル景気の遺産」「税金のムダ遣い」との批判もある。

設計者： ラファエル・ヴィニオリ（Rafael Vinoly） 
所在地： 東京都千代田区丸の内3-5-1 
開館年： 1997年1月10日 
階数： 地上11階、地下3階 
建築面積： 21,000m? 
延床面積： 145,000m? 
敷地面積： 27,000m? 
階数： 地上11階、地下3階 
総工費： 1,647億円（用地費は除く）
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』]]></description>
<link>http://xn--xck0a5ezau4d8871aoj1b.xn--zckuap6f.biz/2007/06/tokyo_international_forum.html</link>
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<pubDate>Fri, 29 Jun 2007 15:22:34 +0900</pubDate>
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