ミシュラン三ツ星観光施設 MICHELIN Voyager Pratique Japon

ミシュラン三ツ星観光施設をご紹介。ミシュランが日本の観光施設を三ツ星評価♪日本観光の参考にされてはいかかですか♪

ミシュランガイド東京2009
レストランを「星」の数で格付けするフランスの「ミシュランガイド」東京版。

ひょうたん温泉 -hyoutan onsen-

別府八湯の内のひとつ「鉄輪温泉」。その中の一温泉施設として「ひょうたん温泉」があります。(いわゆる外湯)
大正11年に創業された温泉施設であり創業者が豊臣秀吉のファンでありその旗印からひょうたんをとり、その形の浴槽を作る「ひょうたん温泉」と名づけたことが始まりである。

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施設としては露天風呂、砂湯、足湯、瀧湯、ひょうたん風呂などがあり露天風呂は夜にはライトアップされ滝のように流れ込む温泉が印象的です。
食事施設もあり、地獄せいろ蒸しなど温泉地ならではのものが食べられます。

道後温泉本館 -dogo onsen honkan-




道後温泉本館(どうごおんせんほんかん)は、愛媛県松山市の道後温泉の中心にある温泉共同浴場。別名・愛称は坊っちゃん湯。明治時代に建築された歴史ある建物で、街のシンボル的存在である。共同浴場番付において、西の横綱に番付けされている。1994年に国の重要文化財(文化施設)として指定された。





・本館の歴史は事実上、伊佐庭如矢(いさにわゆきや)の英断に始まる。



・1890年、如矢は道後湯之町の初代町長となった。この時の最大の懸案は、老朽化していた道後温泉の改築であった。
・如矢は町長就任に際して、自らは無給とし、その給料分を温泉の改築費用に充てることとした。
総工費は13万5千円。当時の小学校教員の初任給が8円といわれ、あまりに法外な予算に町民は驚き、町の財政が傾きかねない無謀な投資だと非難が渦巻いた。反対運動は激しさを増し、ついには如矢は命の危険を感じるほどであった。
・しかし、如矢は貫き通した。棟梁は城大工の坂本又八郎を起用し、姿を現した木造三層楼は、当時でも大変珍しがられた。
・如矢は道後への鉄道の引き込みも企図し、道後鉄道株式会社を設立。一番町?道後、道後?三津口間に軽便鉄道を走らせ、客を温泉へ運んだ。関西からの航路が開かれるなど、道後温泉が発展していった時期であった。
・本館造営といい、線路の引き込みといい、今日の道後温泉の繁栄の基礎を築いており、まさに百年先を見据えた計ともいえる。
・今は如矢は道後の温泉街を見下ろす鷺谷墓地(さぎたに-)に静かに眠っている。
・2002年度から、「道後温泉本館保存修復計画検討委員会」を設置し、本館修復方法等の検討をしているが、修復工事には11年を要する見込みであるが、着手時期については2006年現在、未定。
百年以上もの間公衆浴場として使われてきたことは驚異であるが、長年使っているため、基礎部分の大規模修復が必要となっていることが、芸予地震後の調査で明らかになった。他に替えがたい道後温泉のシンボル施設であるため、たとえ長期的な観点から大規模改修が必要とはいえ改修期間中は浴場としては使用できず、大修復になること、また期間も長期化することが予想され、その間は共同浴場として使用できないことから、観光関係者では修復期間中に観光客の足が遠のくことを懸念している(その後、修復期間中は全面的に浴室として利用を中止するのではなく、一部を利用しながら順次修復していくことに落ち着いた)。
・2007年3月 美しい日本の歴史的風土100選に松山城と共に選定された。





・文豪・夏目漱石が松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)の英語教師として赴任したのは、本館の完成した翌年のこと。
・漱石はその建築に感嘆し、手紙や、後の彼の作品『坊つちやん』の中で「温泉だけは立派だ」と絶賛している。実際に、頻繁に通ったという。手紙によれば、八銭の入浴料で「湯に入れば頭まで石鹸で洗って」もらうことができ、また3階に上れば「茶を飲み、菓子を食」うことができたようである。小説には「住田」の温泉として登場する。あまりにもこの印象が強いため、本館は「坊っちゃん湯」とも呼ばれる。
・一階の男性湯浴室内には「坊っちゃん泳ぐべからず」の札が今も掲げられている(もちろん復元)
・本館内には、夏目漱石ゆかりの「坊っちゃんの間」があり、一般見学可能。


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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